脳と心の不思議<


No1:自分の脳を見る

網膜は脳の一部分であることは発生学的にもはっきりしています。
網膜は脳の一部が光に対して感受性を持つようになって、外側に膨れ上がったものです。
別の見方をすれば、網膜は、脳=心、が外界の明かりを求めて出っ張ったところ、であるわけで、
そのため、人の眼を見るとは人の心を覗き込む、ということになります。
対人恐怖のひとつの顕れとして、視線恐怖が真っ先にでてくるのも当然です。

網膜は通常は外界の事物を光によって感知していますが、特別な条件下では網膜自身を見ることができます。
つまり自分の脳を見ることが可能です。
@暗い中で、眼を閉じて、片方の目の端に懐中電灯を近づけます。
ゆっくり懐中電灯を左右に動かすと、網膜の血管が見えてきます。
A次に、紙に小さい穴を開けて、目の前に置いて、前の白い壁を穴を通してみます。
ピンホールが瞳を横切るように揺さぶると、網膜の神経線維が見えます。



No2:脳の能力


脳のクロック周波数は数100Hz程度と考えられ、コンピュータでは2GHzなどもありますから、コンピュータは脳の1000万倍以上です。
入出力数は、脳が10の4乗〜5乗あるのに対し、コンピュータでは10の1乗のオーダー。
脳の入出力はコンピュータの千から1万倍多いことになります。
コンピュータに比べると、脳のクロック周波数はきわめて遅いのにもかかわらず、 人間は自転車に乗りながら携帯メールを打つなどの超並列処理を行うことができます。
脳には入出力数の多さが可能にする、コンピュータとは根本的に異なる能率が良いと思われる情報処理様式が使用されているのです。
ところで、脳が超並列処理を行うことができるからといって、仕事の組み合わせによっては同時にこなせるわけではありません。
たとえば、電話で会話をしながら別の人に携帯メールを同時に打つことはなかなかスイスイとはできないようです。

No3:脳のボデイイメージ


脳の頭頂葉の中心後回に温痛覚・触覚などの知覚野があり、実際の人体とは異なったプロポーションで帯状に存在しています。
口・手・生殖器が他の身体部位よりも拡張していて、全体として奇妙な形の小人が脳に住み着いているようです。
舌や咽頭などのパーツが本来の位置とは違うところに存在することも奇妙です。
人間が感じる自分自身のボデイイメージは脳の感覚野に占める範囲と相似であるかというと、そうではなく、実際の身体のプロポーションに合致しているといえるでしょう。
すなわち、身体イメージは脳の感覚野のプロポーションとは異なる事がわかります。
身体イメージは視覚的感覚によって大きく影響されますし、運動感覚なども大きく関係しているでしょう。

鏡を見ると、自分の眼窩の奥、額の向こうには脳が納まっているはずです。
ところで、人間は自分の脳自身に関する身体イメージを持っているでしょうか?

脳表の体性感覚野を物理的に刺激すると、脳ではなく身体の実際の場所に痛みなどの感覚を感じます。
しかし、脳が脳自身を感じる感覚野は存在しないようです。
脳のどの部分を刺したり、つまんだりしても脳自身のどこにも感覚は発生しません。
(ただ、脳の深部に関しては実験されている訳はないので、なんともいえませんが)
奇妙な形の小人は無脳なのです。

そうすると、人間は自分の脳に関する知覚情報をまったくもっていないのです。
脳は動きませんし、自分の脳の全体像を視覚的にみる機会もありません。
私たちの身体イメージの中に脳はあるのでしょうか?